私のものでもあり、あなたのものでもある
色が黒と白しかない巨大な絵。描かれているものは苦痛に歪み、人間や馬が逃げ惑う絵。
そこは、苦痛と絶望の世界。
私の人生においてゲルニカについて考えたり、絵をみたりするのはこれで3度目だ!!
私がゲルニカを初めて知ったのは学生のころ。
美術の授業でゲルニカが作られてた歴史のビデオをみたときでした。
この絵が製作された歴史も相まって、なんて怖い絵なんだろうということ、戦争に対する怒り、悲しみがこみあげてくる絵でした。
芸術家は全然知らないし、ピカソも、えっ耳自分でちぎった人だっけ?とゴッホと間違っていたり、ピカソの絵はよくわからん。
と、思っていたのですが。
このゲルニカの絵は、強烈すぎて・・・。ピカソといえば、ゲルニカ!!と。めずらしく大人になるまでずっと覚えていました。
2度目は20代最初のころに。
とある試験をうけるため上京し、試験をうけて、夜行バスをまっているときに、東京駅近くのビルでゲルニカが飾られてました。
試験もうまくいかなくて、鍵がなくて姉の家に入れず。バスがくるまでの数時間東京駅をウロウロし続け、これから自分はどうなっていくのだろうと、落ち込んでいてる時にこの絵が飾られているベンチに座り。この絵をみながらずっとバスを待って、めちゃくちゃ悲しくなったのを覚えております。
なんで、ここに飾ってるんだよ!!と思いましたよ。
そんなわけで、私にとってゲルニカはとっても思い出深い絵なのですが、この物語の主人公たちもゲルニカというものに運命を変えられ、ピカソという芸術家に影響され、時代と戦争に翻弄されてながらも、この絵を守ろうとする物語です。
ピカソの愛人ドラ・マールを通して語られる、製作過程や、ピカソの様子。どのようにしてゲルニカはアメリカに渡ったのかが語られ
ピカソの時代から現代へ、どの時代の人もこの絵を守ろう奮闘します。
この本の中で、ゲルニカはみんなのものである、全世界のみんなのものであるというような文があるのですが。
ピカソにあったこともない、芸術がなんたるかもわからない私にすら、ゲルニカとの出会いにエピソードがあるんだから。
この絵はピカソを離れて、全世界のものに、わたしたちのものになった。と、思う気持ちは分かります。
だから、時代が変わってもみんなで守ろうとしているということが、よくわかります。
現代の主人公、瑤子から語られるゲルニカに出会った最初の印象が、私が最初にみたときに言葉に表せれなかった気持ちを綺麗な文章で書かれていて、そうそう、うんうん、とうなづきながら読んでおりました。
原田さんの女性たちは、自立していてとってもかっこいい!
ピカソの愛人ドラ・マールが好きになりました。
ウィキペディアには彼女のことほとんど書かれていないのですが、戦争が終わった自由な世界で、風のように生きていったんだろな~と思いました。ピカソの絵「泣く女」のモデルだそうです。
あと、本当のゲルニカをみてみたい!という気持ちにもなりました。
ピカソがゲルニカに込めた思いは、今の世界にも必要だと思うので、この芸術をいつまでも残していってほしいと切に願うのであった。
話としては、前によんだ楽園のカンヴァスが個人的には好きなのですが、ゲルニカという題材が強烈すぎた。
楽園の~とはまた違った、興奮がある本でした。久々にとっても楽しく読めました♪